不倫が批判される理由のまとめ

知り合いの父親が有名女優と不倫をしてニュースになったみたいです。

初めての経験に正直ワクワクしました。

それにちなんで、今回は不倫についての話です。

そもそも不倫って世間から批判されるべき行為じゃないですよね。

もちろん家族、特に奥さんや旦那さんには批判されて然るべき行為ですけど、関係のない人があれこれ口を出す問題ではないはずです。

それにもかかわらず、実際はパートナーが許している場合でさえメディアは批判を繰り返します。

ただ報じられるだけなら「ゴシップネタに需要があるから」の一言で片付けることができますが、不倫報道には必ずと言っていいほど不倫批判が伴います。

その結果謝罪会見が開かれたり、もっと悪いと政治家なら辞職に追い込まれたり、タレントなら活動休止を余儀なくされたりします。

一見すると摩訶不思議な現象です。

とはいえ、いざ考えて見ると批判される理由はポンポンと浮かんできます。

以下にまとめてみました。

 

●思考停止

みんなが叩いているからきっと悪いことなんだろうな、という考え方。

何が悪いのかまでは考えない。

私も昔はそうでした。

不倫と無縁な若い世代はこのパターンが多いんじゃないでしょうか。

●ただ叩きたいだけ

理由なんてなんでもよくて、ただ嫌いな有名人を叩くための素材として不倫が使われることがあります。

●モテない自分を肯定できる

過半数、というかほとんどの人は、不倫をしたくてもできません。

魅力がないからです。

不倫を叩くことにより「自分はモテないのではなく誠実なんだ」と自己肯定感を高めることができます。

●自分も不倫したいのにできないからひがんでいる

有名人の不倫相手なんて大体が美男美女でしょう。

そりゃあ羨ましいですし、ひがみたくもなりますよね。

●パートナーに不倫されるのが怖い

自分に不倫する力はないけれど、パートナーにはある。

そんな状態なら不倫を絶対悪と考えたくなるのも頷けます。

 ●過去に浮気されたことがトラウマになっている

不倫を世間から批判される筋合いはなくても、多くの場合パートナーには迷惑をかけている訳ですからね。

過去に自分を裏切ったパートナーと不倫をした有名人を重ねてしまうのでしょう。

 

ざっとこんなところでしょうか。

総じて言えるのは、モテない奴ほど不倫に厳しいということですね。

今の自分も含め、人間の大多数がモテない訳ですから、今後も不倫は批判され続けていくのでしょう。

最後に呂布カルマのパンチラインで締めようと思います。

「せいぜいバレないようにやりな!」 

 

 

 

体調管理を怠ってエロに流れた話

私は1ヶ月ほど前からオナ禁、エロ禁をしています。

おとといの夜よく眠れなかったせいで、昨日は一日中眠かったです。

本当は本を読んだり、ケース問題を解いたり、色々とやりたいことがあったのですが、眠くてやる気が起きませんでした。

それで1日の大半をぼーっと何もせずに過ごしていました。

そして気がつくと、私はエロサイトにいました。

しかも3時間も。

ここで私が言いたいのは、エロ禁、そしてオナ禁の継続のためには、体調管理が欠かせないということです。

暇とやる気が湧かない状態がかけ合わさると、人はエロに流れてしまいます。

私はなんとかオナニーをすることは我慢できましたが、エロやオナニーはめんどくさいという言葉とは関係が薄いようです。

基本的に、オナ禁中はやる気が溢れているため、何をする気も起きないという状態になることは稀です。

ただ、風邪を引いたり寝不足だったりする時にはそれが起こり得ます。

そしてそこでオナニーをしてしまうと、オナ禁によってもたらされていた気力まで失ってしまい、無限オナニーループに陥ってしまいます。

オナ禁中は、体調管理にも気をつけましょう。

 

 

 

 

緊張の原因

緊張で実力が出せないって悔しいですよね。

今日は緊張しいの私が緊張の原因を考えてみました。

人はどういう時に緊張するのか。

全員知っているかもしれませんが、それはやっぱり慣れない状況に置かれた時と、上手くやる自信がない時だと思います。

多くの場合は、この両方が絡んでいることでしょう。

ということは、

①場数をこなす

②能力を高める

の2つで緊張は完全になくすことができるということです。

とすれば「緊張しいだから就活が上手く行かない」というのは単なる努力不足ということになりますね。

自分の意思でいくらでも場数を積むことができる種類のことがらで緊張してしまうのは、努力不足以外の何物でもありません。

場数を踏んでいても緊張するのなら、緊張がどうこうではなく普通に実力不足です。

もちろん、同じだけの場数を踏み、同じだけの自信を持っていでも、どれだけ緊張するかは人によって様々です。

私の友人で、小学校の運動会のリレー以来緊張した記憶がないというやつがいます。

それを聞いた時には心底羨ましいと思いましたが、なんだかつまらなそうでもありますね。

緊張はパフォーマンスを下げるので、いい結果を残したい時にはない方が望ましいですけど、緊張が全くない人生というのも味気ない気がします。

最初は緊張してしょうがなかったけど、色々頑張ったら緊張しなくなった、という経験は人生に彩りを与えてくれます。

そう考えると、緊張することも1つの才能なのかもしれませんね。

周りの就職状況を受けて

昨日、大学の友人から久々に連絡がありました。

みんな就活が終わったらしく、LINEの電話で色々と話を聞いたのですが、正直みんな思ったよりいいところに決まってなかったです。

今年は超売り手市場と言われ、またそこそこ名の通った大学なので、バンバン大企業から内定をもらっているものと思っていたのですが、実際大企業から内定をもらっていたのはほんの一握りでした。

友人曰く「大企業は売り手市場とか関係なく、いつでも狭き門だ」とのことでした。

就活に関してはかなり楽観視していたのですが、しっかり気を引き締める必要がありそうです。

まあそうは言っても、やることは何も変わりませんが。

9月に帰国したらすぐにオータムインターン外資系コンサルの選考を受け始め、来春の就活解禁までに面接の練習をしまくります。

あ、以前どうやってマッキンゼーに入社するか、みたいな記事をいくつか書きましたが、今はもうコンサルに魅力を感じなくなりました。

「コンサル一年目が学ぶこと」という本を読んで、「なんか違うな」ってなりました。

選考時期が早いですし、コンサルの入社試験のための勉強は色々役に立ちそうだから受けますけど。

あと昨日の友人との会話で私が

「面接時の音声をICレコーダーで録音して振り返りに使おうと思う」

と言ったら、友人も実際に全く同じことをやっていて驚きました。

個人的にすごい発明をしたと思ったのですが、みんな当たり前にやっていることなのかもしれませんね。

いや、実際どうなんでしょう。

みんなやっているのか、私と友人が天才なのか、それが今、とても気になっています。

 

 

 

 

死ぬ年をあらかじめ決めておく

いつ死ぬかわからないって、結構不便ですよね。

老後のためにどのくらいお金をためておけばいいかもわからないし、人生設計がすごく立てにくいです。

この際、死ぬ年齢をあらかじめ決めておくというのはどうでしょう。

例えば、80歳なら80歳で自殺すると決めてしまう訳です。

そうすることでお金以外の面でも、いいことがたくさんあります。

まず、健康に最大限気を使うことで、死ぬまである程度元気で過ごせるかもしれません。

普通に健康に気を使っていても、健康に過ごせる時間は長くなりますが、そのぶん寿命も伸びてしまうので、結局不健康な状態で生きなければいけない時間の長さは変わりません。

今の60代は一昔前の40代と同じくらい健康だ、という話を聞いたことがありますが、このままその傾向が続けば、私が老人になる頃の80代が昔の40代と同じくらい健康、ということになることだって考えられます。

また、残りの寿命がわかっていると、人生後半の生活の質が向上するんじゃないかとも思います。

残り時間がわからない時って、精神的に穏やかじゃないですよね。

テストだって、残り時間がわからない時の点数はきっと低くなるでしょう・

難しいのは死ぬ年齢をどこに設定するかです。

自分自身の考え方の変化や、テクノロジーの進化など、不確定要素が多すぎて、何歳がちょうどいいのか予想できません。

50歳くらいにもう一度考えてみようと思います。

 

 

友達ゼロでも寂しくないことに驚く

カナダにきて3ヶ月以上経ちました。

そもそもカナダで友達を作ろうとしておらず、語学学校にも通わず、こっちに友達が一人もいないまま3ヶ月以上過ごしている訳ですが、意外にも全く寂しくありません。

むしろ、知り合いから遊びに誘われても行きたくないくらいです。

遊ぶことより生活リズムを守ることの方が大切に思えます。

日本にいた時は、暇があるとすぐに地元の友達に声をかけていたことを考えると不思議でなりません。

確かに、バイト先で最低限の会話はしますし、オンライン英会話で毎日50分喋ってますけど、それらと友達との会話はまたすこし違いますよね。

バイト先の人とは全然仲良くないですし。

英会話ではニュースを読んでそれについてディスカッションしてますし。

日本にいた時の私は、友達と楽しくおしゃべりしている時に幸せを感じることが多くありました。

なので「友達はものすごく大切なものだ」考えていましたが、実はそうでもないのかもしれませんね。

まあ、日本に帰って仲のいい友達と会ったら、やっぱり大切だと思うのでしょうが、いないならそれはそれで問題がないことがわかりました。

あとこれは断言できるのですが、友達がたくさんいることに価値はないですね。

その場にいる人とうまくやるためのコミュニケーション能力は大切ですけど、友達はむしろ少ない方がいいと思います。

友達が多いと、マウンティング合戦に参加させられそうになったり、何かと面倒なことが多いですし、少数の本当に仲の良い友達や彼女と会うための時間が削がれてしまいます。

残念ながら今彼女はいませんが。。

正直、今遊んでいる(というか日本にいた頃遊んでいた)友達だけで十分なので、これからはその場その場で人とうまく関わりながら、一人の時間を大切に生きていこうと思います。

そう考えていても仲良くなる人こそ、本当に仲良くなるべき人なのでしょう。

改めて読書の重要性に気づく

ここ何日か、ブログのネタがなくて困っていました。

ここ何日か、日課の1分間メモ(赤羽雄二「ゼロ秒思考」参照)のネタに困っていました。

そしてここ何日か、読書の量がめっきり減っていました。

これらが無関係はとは思えません。

読書をする時って、知識を得ているのと同時に、やっぱり色々と考えているんですね。

ちきりんさんは「私たちが本当に頭を使っているのはアウトプットの時だけ」という趣旨のことを言っていました。

私もそう思います。

ただ、新しい知識を得ることが、疑問が生まれるきっかけになることもまた間違いなさそうです。

実際本から得た情報をきっかけに考え事が始まることは多いですし、それが本の内容とは全然関係のないことに発展して行くことも少なくありません。

残念なのが、本って読み始めるとだいたい面白いんですけど、漫画、ブログ、twitterYouTubeとかと比べると、とっつきにくいというか、読み始めるまでのハードルが高いんですよね。

長時間の電車通勤の時とかは、何も考えずにスッと読書に入れるんですけど、自宅だとtwitterとかに流れがちです。

ちょっと前までやっていたように、寝る前の1、2時間を読書の時間と決めて、これからまた毎日本を読もうと思います。

応援よろしくお願いします。