読書は思考のきっかけ

読書は楽しいし、私たちは読書からたくさんのことを学ぶことができる。

時に誰かが一生かけて手にした知見を、数百円で買うことができる、地球上で最もコスパのいい商品の一つだ。

だから私は毎日読書をするし、多くの人が読書を重要視している。

年齢を重ねるほど、読書の習慣がある人とない人の知性に、大きな差が出るという。

「読書をしなければ立派な人間になれない」という人も少なくない。

 

しかし一方で、読書をしないにも関わらず、高い知性を感じさせ、実際に成功している人がいることもまた事実である。

プロゲーマーの梅原大吾がその一人だ。

少し前に、Youtubeで彼の講演の動画をみた。

彼は1時間半に渡る素晴らしい講演の後、聴講者からの

「梅原さんが影響を受けた書籍があれば教えてください」

という質問に対し

「本は読みません」

と答えていた。

どうやら、読書は知性を身につけるために必須のものではないようだ。

よくよく考えてみれば、もし読書をしないと賢くなれないのならば、印刷技術が普及するまではみんなバカだということになる。

だが、よく知られているように、実際は歴史上には偉大な人物が多数存在する。

印刷技術の発明後、急速に社会が発展したことを考えれば、読書が重要だという事実は揺るがないだろう。

しかし、あくまで読書は有効な手段の一つにすぎず、それなしでは立派な人間になれない、というのは明らかに間違った考え方だと言える。

 

では、読書をしない人は、どのようにして知性を身につけているのだろうか。

私が思うに、それは「思考」を繰り返した結果ではないだろうか。

梅原大吾に関しても、彼の本を読むと、幸せな人生を送るため、ゲームで結果を残すため、徹底的に思考を繰り返してきたことが分かる。

思考を繰り返せる人は、一つの事象から多くのことを学べる。

反対に、思考をする癖がなければ、どれだけの本を読み、どれだけ色々な経験をしても、そこから少しのことしか学べない。

読書をする人の中にも知性を感じない人がいるのは、本を読んでも思考をしようとせず、少しのことしか学べない人がいるからだと言える。

 

読書をすることで、多くの知識を効率的に得ることができる。新しい考え方に触れるのは楽しいことだし、思考のきっかけにも繋がる。

しかし読書は時に、人の思考時間、回数を大幅に減らしてしまうこともある。

まず、当然だが読書をするには時間が必要だ。

もちろん頭を全く使わずに読書をすることはできないので、広い意味では読書をしている時間も思考しているということはできるだろう。

しかし、読んで「意味を理解する」ことと、自分で「価値を生み出す」ことでは、どちらがより高レベルの思考が要求されるかは明白だ。

高レベルの思考ができるかもしれない時間が、読書をする際の機会費用になっていると言える。

また多くの本を読んでいると、「自分で思考をしなくても、全てどこかの本に答えが書いてあるんじゃないか」という錯覚に陥り、思考をしなくなってしまうことがある。

しかし、絶対的な正解がなく、有名で優秀な人の間でも意見が割れることはよくある。

例えばある人は「雑談はすごく重要」というし、またある人は「仕事で雑談をする人は、相手の時間を奪っているという意識を持つべき」という。

これはどちらが正しいという訳ではなく、人や状況によってそれぞれの正解があって良い。

自分で思考をしないと、こういう種類の問題に関しても、

「自分の好きな〇〇さんが言っている意見が正しいはずだ」

と考えるようになってしまう。

そんなことをしていても、誰かの劣化版にしかなれない。

『読書は思考のきっかけ作り』という意識を常に持つようにしたい。