努力と我慢

私の十八番、妄想をしている時にあることに気がついた。

まずは私の妄想をご覧いただこう。

 

姉「久しぶり。最近どう?」

私「公私共に充実している。年収は2000万円だ。」

姉「すごいね。何でそんなことできるの。」

私「努力をしているし才能もある。」

姉「私だって努力してるし。」

私「あなたはやらなければいけないことを我慢してやっているだけでしょ?」

 

脳内でこんな感じのやりとりをしていて思ったのが、努力と我慢は全然違う概念だということだ。

努力とは、自分のなりたい姿に近づくための行動。

我慢とは、生きていくため、人に迷惑をかけないため、バカにされないため、周囲からの期待に答えるためだけにする行動。

なりたい姿を描けなければ、努力は生まれない。

逆に言えば、全く同じ行動でも、本人の意識次第で努力にも我慢にもなり得る。

例えば同じ会社で同じ営業をするにしても、営業の能力を高めたくてその仕事を選んだ人にとっては努力になるし、生活費を稼ぐためだけにやっている人にとっては我慢でしかない。

そして多くの場合、我慢は苦痛でしかない。

努力も苦痛を伴うことがあるが、それは充実感の伴う苦痛である。

また人は誰からも強制されずに努力をするが、必要に迫られない限り我慢をすることはない。

先ほどの妄想の中で、私がなぜ姉のやっていることは努力ではなく我慢だと言ったかというと、彼女が人、環境、世間体、どれからも強制されずに努力っぽいことをしているところを見たことがないからだ。

上記の営業の例のように、側からは強制されているようにも見えるが、本当は自ら選択している「我慢に見える努力」というパターンもあるが、そういう人間は「努力に見える努力」もたくさんしているものだと思う。

最後に、今回努力と我慢の違いについて考えてみて、これまでの人生でこういう系の名言をいくつか聞いたことがあったことを思い出した。

アニメ「MAJOR」の中で主人公の茂野吾郎は

「人にやらされた練習を努力とは言わねえだろ。」

と言っていたし、ラッパーの鎮座ドープネスも

「言ってんのか言わせれたんのか、聞いてんのか聞かされてんのか、やってんのかやらされてんのか、本当のところはどーなん?」

と言っている。

きっと自分以外にも気がついている人はたくさんいると思うし、多くの人が発信していることなのだと思う。

茂野吾郎の言葉を聞いた時には感動した記憶があるし、今日まとめたことは私もずっと前から一応は知っていたことなのだろう。

でも、自分のなりに文章に落とし込んでみて、理解の質が全然変わった。

自己啓発書って臭いから好きじゃないけど、あれを最初に書いた人はめちゃくちゃ高尚な人間なんだろうなって思った。