他国の難民のことを考える必要があるのか

 しばしば

「世界にはこんなに苦しい思いをしている人がいます。私たちは恵まれています。この生活を当然と考えるのは間違いです。」

みたいな主張を聞くことがある。

それ聞くたびに私は「苦しい人がいることと俺の生活関係ねえだろ」と考えてしまう。

世界の恵まれない人々への支援に興味を示している人の中には、単に周りから立派な人だと思われたいだけの人や、そういった問題に関心を示さないことは悪いことだと理由もなく信じている人も多いだろう。

だけど、本当に心から難民の生活を憂い、状況の改善に尽力している人も少なくないと思う。

こうした人々は、一般的に立派な人だと見なされる。

でも果たして本当に立派なのだろうか。

私たち恵まれた日本人には、恵まれない国の人々を思いやる責任があるのだろうか。

 

そもそも難民に限らず、自分以外の人間のことをどの程度思いやる必要があるのだろう。

私たちの多くは幸せになるために生きているのだから、自分の幸せに関係する範囲で他人のことを考えればいいと思う。

例えば、私の家族や親しい友人が不幸になれば、私自身も悲しい。

私の場合、私自身の幸せに関わってくるのは身近なごく少数の人たちの幸せだけだから、心から思いやるのもごく少数の人だけだ。

自分の幸せに影響する範囲にはおそらく個人差があって、他人の幸せが自分の幸せにほとんど影響しない人もいれば、テレビでみただけの、自分とほぼ共通点のない人の不幸を自分のことのように悲しむ人もいると思う。

だけどこの範囲の広さに優劣はない。

一般的にこの範囲が広い人ほど立派な人だと見なされるのは、自己中心的な人よりも他人を思いやることができる人の方が、周りの人にとって都合がいいからだ。

実際には肉が好きか魚が好きかということと同じように単なる個性の一つにすぎない。

 

それからもう一つ。

人のために行動するのは、お互いに支え合うためでもある。

友人が困っている時に助けるのは、私が困っている時には助けてもらいたいからでもあるし、行列に横入りをしないのは横入りをされたくないからだ。

いくら自分とは関係のない人でも、人の利益を踏みにじって自分だけ得をしようとする行為はやってはいけないことだ。(動物の肉はガンガン食うけど。人じゃないから。)

多くの場合、そういった行為は回り回って自分に帰ってくるだろう。

ただ、動物の肉をいくら食べても動物から仕返しされることなんて無いように、状況によっては他者のことを一切鑑みずに自分がいい思いをしようとしても、自分が損をすることは無いかもしれない。

だけど、そういったことはしてはいけないと教育されてきたからか、人を不幸にして自分だけ得をしようとすると、私の体は罪悪感を感じるようになってしまっている。

だからもし、私の生活が恵まれない国の人々からの搾取によって支えられているのなら、なんらかの形でその国の人々に埋め合わせをしなければいけないと感じるだろう。

だけど今のところ私は難民からの搾取に支えられているとは考えていないので、途上国への支援は義務ではないし、やりたい人(自分の幸福に影響を与える人の範囲が広い人と、個人的に途上国に思い入れのある人)がやればいいことだと思う。